日本にまだ中産階級があった『ユーミンの罪』の時代 (輝きは戻らない)

2014年01月13日 08時00分

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街並画像.com
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酒井順子さん(47)の著書『ユーミンの罪』(講談社現代新書・840円=5刷5万部)が、売れている。1月12日付の朝日新聞にフリーライターの速水健朗(はやみず けんろう)さん(40)による本書の書評が載っていた。荒井由実として「返事はいらない」でデビューした1972年から20年間の楽曲を追いながらユーミンが世間に与えた影響や時代の変遷をたどる本書は、日本にまだ中産階級が存在した最後の20年間を「恋愛がレジャーでありえた時代」ととらえたユニークな視点が魅力の秀作である。

ここで筆者が使う「中産階級」という概念は、単に収入の面で「中流」に属するという意味ではない。それは、個別の官僚制的組織(具体的には主に資本主義的私企業)の支配者に従属しなくても自分と家族の生活をまかなうことが出来た、相応の生産手段を有する階級のことである。それまでのフォークや歌謡曲やグループサウンズの技術的・情緒的な要素を吸収しながら、この中産階級という一種独特の家庭環境で育った若きアーティストたちが、ニューミュージックと呼ばれるポピュラー音楽の産業革命を起こした。東京・八王子の呉服屋の一人娘であった荒井由実による1973年発売の「ひこうき雲」がそうであり、74年発売の「やさしさに包まれたなら」がそうであり、74年に埼玉県春日部市の寿司屋の娘・太田裕美が発売した「雨だれ」がそうであり、75年発売の「ルージュの伝言」で、日本のポピュラー音楽は決定的に“サウンド的に退屈な時代”を卒業した。同年暮れには横浜の小田薬局の次男・小田和正が率いるオフコースが「眠れぬ夜」を発売。流れは決定的なものとなって行く。

本書が描くこの時代はユーミンも日本もギラギラしていた(速水氏)が、それは主に恋愛にギラギラしていたのであって、今みたいに憲法の改変や集団的自衛権の行使容認にギラギラする必要はなかった。中国はまだ経済の超大国になっていなかったし、東西冷戦でそれなりにわかりやすい「安定した国際秩序」が存在したからだ。サラリーマンはみな正社員でパートで働く主婦はあくまでも家計の「足し」のために働き、そして中産階級は真面目に働けば相応の収入と自由な家庭環境の中で特有の感性を持って大きくなって行く子どもたちに、家業がつぶれた後の未来を託した。そういう社会には若い女性と男性の間に恋愛が生まれて行ったのだ。

だからこの時代の総理大臣たちは、国を支える主役であった国民をおそれていた。田中角栄も三木武夫も大平正芳も、国民の声を聴いた。今のように首相も政権与党の幹事長も国民を「愚かなもの」「卑しきもの」ととらえるようなことはなかった。だが、こんなことをいくら言ったところで“輝きはもどらない”(『翳りゆく部屋』・76年)のである。“夢はさわらぬ方がいい”(『昔の彼に会うのなら』・82年)のである。

最後に一つだけ、若い人たちにユーミンの詩(ことば)を借りて伝えたいことがある。それは、「許してばかりじゃ 幸せになれないよ」(『恋人と来ないで』・80年)ということだ。そう、政府の暴走を許してばかりじゃ、幸せになれない。自分の頭でよく考えて、選挙では投票に行こう。

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