森達也氏「歴史上ほとんどの戦争は“自衛”への熱狂から始まっている」

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森達也公式twitter

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映画監督で作家の森達也さんが、1月30日付の朝日新聞「論壇時評」欄のコラムで『我々は加害者の末裔である』と題して興味深い論説を展開している。筆者の拙い解説力では到底森さんの主旨を完全にお伝えすることなど不可能なので、関心がおありのかたには同紙を入手し読んでいただくこととして、読む気になるかならないかの判断材料としてのみの意図で、概略を紹介させていただく。

森さんはかつて領土問題が恒常的にあり大規模な戦争も何度となく起きたヨーロッパで、こんにちのような融和が進んだ理由を、「他民族を蔑視して差別し続けてきた自分たちの加害性と戦後も直面し続け、後ろめたさを保持し続けてきたこと」と捉える。一方わが国は、鎖国の時代が終わって新しい国家体制を創設する際に、富国強兵と脱亜入欧をスローガンとした。(良い悪いは言わない。「悪い」面だけを取り上げたなら福沢諭吉も相当な重罪人ということになる。)列強の植民地という辛酸をなめず、中国とロシアを相手にした戦争でも勝利をおさめ、いつしか「この国は特別なのだ」という伝統的な排他性と化学変化を起こし、いつしかアジアへの蔑視や優越感を燃料にした思想が正当化され、アジア太平洋戦争へとつながり、さんざんな思いをして敗戦を迎える。

アジア太平洋戦争でこの国はアジアにも負けた。ところが自分たちの加害性から目をそらし続けてきたためその記憶と実感が薄い。だからこそアメリカに従属しながらアジアへの優越感は保持されて戦後の経済発展の原動力の一つとなった。つまり「脱亜入米」である。

森氏は「戦争は一部の指導者の意志だけでは始まらない」と言う。「彼らを支持する国民との相互作用が必要だ」と言う。そして「歴史上ほとんどの戦争は、自衛への熱狂から始まっている」と指摘し、まさに今わたしたちが生きて在る日本の状況を言い当てている。指導者やメディアは平和を願うなどといいながら、結局は危機を煽って国民の期待や欲求に答えようと暴走する。特に安倍政権誕生以降、自衛の概念が肥大している。大義になりかけている。だとすればこの国は積極的な平和主義を唱えながらまた同じ過ちを犯す。安倍晋三首相が「再び戦争の惨禍に人々が苦しむことのない時代を創る決意を靖国で祈念したのだ」と言うのであれば、同時に宣言しなければならないことがある。「我々は加害者の末裔でもあるのだ」と言うことだ。さきの戦争の責任はA級戦犯だけに押し付けるべきではなく、天皇だけに押し付けるべきでもなく、わたしたち自身が被害者であると同時に加害者の末裔であることを認めなければならないのだ、と。

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