本日、ロンドン五輪開幕!オリンピックメダリストの名言10選、「我々はみんなビジネスマンだ。」など

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27日午後9時(日本時間28日午前5時)の開会式がスタートし、ロンドンオリンピックがいよいよ幕を開ける。日本選手の活躍に期待がかかるが、競技や記録、成績だけでなく、極限状態の選手から発せられる言葉の数々もオリンピックの楽しみのひとつだろう。

1936年ベルリン大会から前回の北京大会までを振り返り、オリンピックメダリストが発した名言を紹介したい。

サムエル・ワンジル選手 2008年北京大会 陸上男子マラソン 金メダル

日本語で「きつくても、がまんすること。がまん、がまん。」

ワンジル選手はオリンピック直前の7月までトヨタ自動車九州に在籍していた。昨年年5月、妻に不倫現場を発見され、口論の末に自宅バルコニーから転落して死亡したと報じられ、日本にも衝撃が走ったのは記憶に新しい。

北島 康介選手 2004年アテネ大会 競泳男子100、200メートル平泳ぎ 金メダル

「気持ちいい。ちょー気持ちいい。まだ未来のことを決めていないけど、泳ぎ続けたい。オリンピックで金メダルを取ることが僕の最終目標ではなく、もっと素晴らしい泳ぎをお見せしたい。」

「ちょー気持ちいい」は新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれた。2008年北京大会の「すみません、何も言えねえ」に続いて、ロンドン大会での発言に注目が集まる。

有森 裕子選手 1996アトランタ大会 女子マラソン 銅メダル

「メダルの色は、銅かもしれませんけれども、終わってから、なんでもっと頑張れなかったのかと思うレースはしたくなかったし、今回はそう思っていないし、初めて自分で自分をほめたいと思います。」

1992年のバルセロナ退会で銀メダルに続き、メダル獲得した。二大会連続のメダル獲得は、日本女子陸上選手では有森選手が初めて。

岩崎 恭子選手 1992年バルセロナ大会 競泳女子200メートル平泳ぎ 金メダル

「今まで生きてきた中で、一番幸せです。」

当時14歳になったばかりの少女の発した素朴な感想に日本中が沸いた。

山下 泰裕選手 1984年ロサンゼルス大会 柔道男子無差別級 金メダル

「(肉離れして、)しまったと思ったが、今までの努力を無にしてたまるかと燃えた。」

決勝の対戦相手エジプトのモハメド・ラシュワン選手が、負傷した右足を攻めなかったことが話題となった。山下選手はその後、国民栄誉賞を受賞し、ラシュワン選手はユネスコより「国際フェアプレー賞」を受賞した。

釜本 邦茂選手 1968年メキシコ大会 男子サッカー 銅メダル

「我々はみんなビジネスマンだ。8時間、会社の仕事をして、その後で練習をしている。」

釜本選手は当時、絶対的なエースストライカーだった。「ノーマークなら俺にパスしろ。1人マークがいても俺にパスしろ。2人いたら…やっぱ…俺やな」と発言したことも有名。

円谷 幸吉選手 1964年東京大会 男子マラソン 銅メダル

「私はレース中、後ろを振り返りません。だからヒートリーが追ってきたのは知りませんでした。抜かれた時、もう1度スパートしかけたのですが、もうあそこで全力を出し切っていました。」

1968年に自殺し衝撃を与えた。「美味しうございました」の繰り返しと、「父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。」の一文は有名。

アベベ・ビキラ選手 1964年東京大会 男子マラソン 金メダル

「最強の敵は自分自身、晴雨なく運不運なし。」

1960年のローマ大会では裸足で走って金メダルに輝いたことで脚光を浴びる。東京大会の6週間前に盲腸の手術を受けていた。

神永 昭夫選手 1964年東京大会 男子柔道無差別級 銀メダル

「全力を尽くしてやりました。それで負けたのですから、自分としては悔いはありません。」

前回の北京大会では男子柔道は金メダルゼロに終わったが、東京大会では国技と呼ぶに相応しい活躍を見せていた。神永選手が無差別級で唯一、金メダルを逃した。

神永選手が後に遺した「勝負は負けた時から始まる。弱さを知った時、己の成長が始まるんだ。人並みにやっていたら、人並みにしかならない。」の言葉には勇気付けられる。

孫 基禎選手 1936年ベルリン大会 男子マラソン 金メダル

「なぜ君が代が自分にとっての国歌なのか」

朝鮮半島が当時日本に併合されていたため、孫選手は日本選手として出場した。オリンピック記録でアジアの選手として初めてマラソンで金メダルを獲得。

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