HOMEインタビュー 「日本の価値観だけで生きるのではなく、多様性の中に身をおこう」 大手銀行員⇒ウガンダの起業家に、若者へ送る言葉とは:RICCI EVERYDAY創業者・仲本千津さんインタビュー(3)

「日本の価値観だけで生きるのではなく、多様性の中に身をおこう」 大手銀行員⇒ウガンダの起業家に、若者へ送る言葉とは:RICCI EVERYDAY創業者・仲本千津さんインタビュー(3)

菓子翔太

2023/07/06(最終更新日:2024/01/18)


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カラフルで遊び心にあふれた生地“アフリカンプリント”やウガンダのサステナブルな素材を使った洋服・バッグなどを展開するライフスタイルブランド「RICCI EVERYDAY」。同ブランドを運営する仲本千津さんはウガンダの直営工房で、都市部に暮らすシングルマザーや紛争被害に遭った人など社会的に疎外されやすい人たちを積極的に雇用。次々と商品を生み出し、自身の母親とともに日本を中心に商品を販売しています。

そんな仲本さんは、もともと三菱東京UFJ銀行(現三菱UFJ銀行)で法人営業を務めていました。なぜ、そこからウガンダに飛び、RICCI EVERYDAYを運営するようになったのでしょうか。

U-NOTE編集部は仲本さんに対し、現在のお仕事や今に至るまでの経緯、ウガンダの現状などについて伺いました(全3回中3回目)。

第1回:「アフリカの魅力や学びを現地の人と一緒に発信したい」 “好ましいより、好きを”、ウガンダの女性とつくるカラフルなファッション:RICCI EVERYDAY創業者・仲本千津さんインタビュー(1)

第2回:「リープフロッグも大事だけれど、産業の基盤づくりも必要」 経済格差続くアフリカ、起業の難しさとやりがいは?:RICCI EVERYDAY創業者・仲本千津さんインタビュー(2)

アフリカンプリントの商品だけでなく、牛革で作ったバッグなども販売している

―――仲本さんが起業されるにいたるまでを教えてください。

大学生のとき、民族紛争に興味があって1990年代以降に起こった紛争、旧ユーゴスラヴィア紛争や東ティモールの独立紛争などをリサーチしていました。大学院ではサブサハラアフリカ(サハラ砂漠以南のアフリカ)に焦点を定めて、本格的に研究していたんですよね。それと同時に、日本の肥満状況とアフリカの貧困・飢餓状況を解決しようと取り組んでいる「TABLE FOR TWO International」というNPOでインターンをさせてもらって。その時の代表がまさにクールヘッド&ウォームハートの両方を持ち合わせているすごく強烈な方で、私は彼にだいぶ感化されました。

将来的に彼のようにアフリカで何かしらの事業を立ち上げたいなと漠然と思うようになったんですね。当時すでに銀行に内定もらっていたので、とりあえず銀行に行ってみようと思ったんですけど、先ほど話した通り(第1回参照)結構カルチャーショックを受けて、このままでいいんだろうかと葛藤しながら、日々降ってくる大量の仕事に忙殺される日々を送っていましたね。

モヤモヤしながらも、とりあえず仕事をしていたんですけど、2011年の東日本大震災で顔をはたかれたような感覚になって。志半ばで多くの方が亡くなられていくのを見て、アフリカで事業をやりたいと本当は思っていたはずなのに、ここにいていいんだろうかと、問いただされた気持ちになりました。もう自分のやりたいことをこれ以上先延ばしにするのはやめようと思って、そこから転職活動をスタートさせたんですね。

運よく拾ってくれたのが前職の農業支援をやっているNGOで、最初の2年半は東京をベースに出張でサブサハラアフリカ10カ国ぐらいに行きました。その中でウガンダがダントツでいい国だなと思いました。「駐在するならウガンダがいい」ってずっと言い続けていたら、2014年に駐在することになり、日中はNGOの仕事で全国の農家さんのところに回って農業支援をしていたんです。

ただ、自分で事業をやりたいという気持ちもあったので、色々とそのネタ探しをしていたときにアフリカンプリントに出会ったんですよね。ローカルマーケットをウロウロしていたら、ぱっと目に飛び込んできたのが壁一面、床から天井までアフリカンプリントが積み重なっているお店で、すぐ吸い込まれちゃいました。「どの柄がかわいいんだろう」と友人と話しているうちにあっという間に2、3時間が経っていたんですが、その時に「これ、日本にないよな」って思ったんですよね。

その後、私を訪ねてやってきた友人を毎回ローカルマーケットに連れていったんですけど、その友人たちもみんな「かわいい」と言っていて。当時は日本のファッション業界に(アフリカンプリントが)あんまりなかったんですよね。だとすると、これを日本に持っていったら絶対ビジネスになるなって思って。日本の女性はそんなに柄物を着ないから洋服は難しいかもしれないので、バッグからスタートさせようと考えました。

サンプルづくりをするために、人集めから始めました。私は裁縫が全然できないので、とにかく縫える人や自分のビジネスを一緒に回してくれる人を見つけないといけないなと思い、それぞれ別の日本人から紹介を受けた3人のウガンダの女性たちプラス私で工房を借りてスタートしました。(その後)サンプルができた段階になって、日本で販売してくれる人が必要となり、(日本在住の)母を巻き込んで一緒にやることになったという経緯ですね。

―――U-NOTEの読者層となる20代前半に向けてメッセージをお願いします。

コロナ禍を経験して思うのが、先行き不透明な社会になっているなということ。その中で日本人という価値観だけで生きていると、情報の獲得に遅れてしまうことがあると思うんですよね。新しいアイディアにリーチできなかったり。自戒を込めて言いますが、海外の人たちとどんどん関わりを持ちつつ、異なる価値観の人たちと一緒に何か物事を作り上げる経験が大事になっていると思います。今ダイバーシティとか方々で言われていますが、まさにそういうものを尊重したリーダーシップを発揮していかないといけないと感じます。

私はウガンダの人たちと一緒に関わりながら事業を進めていますが、価値観が違う人たちと物事を進めるのは、正直言って時間がかかり、面倒くさいと感じることも多々あります。まずはお互いのコミュニケーションのルールを把握して話す必要がありますし、価値観が違う人たちと議論をしていると、全然違う論点が出てきたりして、時間がかかるんですね。でも、そこで面倒くさいと思うのではなく、その時間を楽しみ、さまざまな価値観の人たちを巻き込みながら深い議論をして物事を作っていくことの面白さを実感できるといいのではないかと思っています。

―――特にアフリカの話は日本であまり報道されてないので、僕自身も勉強する上で海外のサイトを見ないとわからないことも多くて。

日本のワイドショーを見てる場合じゃない、不倫で騒いでる場合じゃないっていう(笑)。もっと大変なことがいろいろ起こってるから。

―――個人が介入すべき問題がもっとたくさんあると。

そうそう、そうです。

―――途上国の課題解決に寄与したいと思いながらも、具体的にどう行動していいかわからないという方もいると思いますが、仲本さんとしてはどういったところから始めれば良いと思いますか。

現場に行くことだと思います。日本で本を読んだり色々な人の話を聞いたりしても、生の情報には勝てません。とにかく現場に行って自分の足でちゃんと情報にアクセスすることだと思います。

そのときに、ただ、おんぶに抱っこで「すいません教えてください」だと、現地の人たちからも「何この人」と思われちゃうので、最低限の相手へのリスペクトとして、「自分はここまでこういうふうに考えていて、この点について教えていただけないでしょうか」と、事前にある程度は自分で考えてからいくのはすごく大事かなと。その方が、本当に必要な情報にたどり着くことができると思います。

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