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NYのチャイナタウンで“世代間の分断”が生まれている

Photo : NYCOARA

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チャイナ・タウン。いうまでもなく世界中にある中華街のこと。日本では横浜がその代表だろうか。

異国情緒たっぷりの街並みにおいしい食事、珍しい土産物屋など、観光名所としてだけではなく地元住民も訪れる人気エリアとなっている。

米国にも数多くのチャイナ・タウンが

ここ米国においても数多くのチャイナ・タウンがあり、それぞれが大変賑わっている。

日本で最も有名なところといえば、大きな門が象徴するサンフランシスコだろうか。

しかし米国最大の都市ニューヨークにも、もちろんチャイナ・タウンは存在する。

大小取り混ぜ、その数は市内8か所。ニューヨーク都市圏における中国系の人々の人口の多さが、そのままチャイナ・タウンの数につながっているという図式だ。

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Photo : NYCOARA

一番人気のチャイナ・タウンはマンハッタン。アジア圏以外では、最大の居住者数を持つ。

ガイドブックなどにも必ず掲載されていることから日本からの観光客も多い。

地元ニューヨーカーはもちろん、観光客やビジネスでの出張者、そこで生活を営む中国系の人々で常に賑わっている。

しかし実際にニューヨークという街に住んで見ると、観光で訪れただけでは見えてこないことも分かってくる。

そんなマンハッタンのチャイナ・タウンついて、少し違った姿をご紹介したい。

発祥は労働者のスラム街

マンハッタンのやや下側、東西を横切るように走るキャナル・ストリートの南側がチャイナ・タウンの中心部。

実はこの場所となったのには大きな理由がある。それは20世紀初頭にマンハッタン・ブリッジが建造されたことに起因する。

当時、この橋の建造という大規模工事のため、工事を請け負った事業者らは中国系の労働者を多くこの地に呼び寄せた。

マンハッタン・ブリッジはマンハッタン側ではそのままキャナル・ストリートに合流するのだが、工事終了後も仕事を終えた労働者たちががそのままこのエリアに居ついてしまったのがこのマンハッタンのチャイナ・タウンの始まりなのである。

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Photo : NYCOARA

また近年の人口増加に伴い、各地に新たなチャイナ・タウンが出現してきている。

すでに第3世代以上となった彼らにも、新たな変革の時が訪れているようである。

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見えない差別

現代のアメリカ、そして日本で問題になっている格差社会。このような問題は、チャイナ・タウンの中でも存在するのだという。

当初このエリアに居を構えた人々が上海などからやってきたことで、他のエリアからの人々はどうしても少数派となる。

広東語を話す層が主流派となり、北京語や福建語などの他の言語圏の人々は不遇の時期も長かったという。

そしてその差別のようなものは現在でもそこかしこに見え隠れしているのである。

例えば飲茶を食べに行くと、カートを押している女性たちはそのほとんどが広東語圏出身の女性達。

縁故をたどっての就職が多い。チップも潤沢で、非常に良い待遇が得られている。

一方、店の奥で野菜を切るなどの下拵えの業務に携わるのは福建語圏の人々。

早朝からの厳しい労働が嫌でも、なかなか次の仕事が見つからないといった状況だ。

チャイナ・タウンに住むのは広東語圏の人々が主流で、福建語圏の労働者達は他のエリアに住むことを強いられるなど、外からは見えにくい差別のようなものが未だに存在する。

新たな分断が生まれている

そしてもう一つ、新たな分断がチャイナ・タウンの中に生まれている。

それは世代間のギャップとでもいうべきもの。

若者と高齢者とはいつの時代でも相互理解は難しいものではあるが、ここチャイナ・タウンではこの場所ならではの理由から、他のエリアでは見られない独自の現象が起こっている。

米国に住む中国系の人々なら、誰もがわかる英語表記があるのをご存知だろうか。

それは「ABC」だ。チャイナ・タウンが形成されて100年以上、当然ながら2世3世の若者も多く生まれてきている。

彼らのように中国系の移民の子孫でありながら、生まれも育ちもアメリカという若者をアメリカ・ボーン・チャイニーズ、つまり「ABC」と呼ぶようになってきている。

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Photo : NYCOARA

「ABC」の若者は生活のベースはアメリカ社会。

友人とは英語でお喋りをし、英語で授業を受け米国企業へ就職をし、仕事をする。

生活の全てはごく当たり前のアメリカ社会にあり、かつての中国社会へのつながりは年々薄くなる。

本国の様子をニュースなどで知ることはあっても、彼らにとってはそれはもう別な国の話。

ところが高齢者達にとっては、中国はやはり「母国」。

受けてきた教育故に、そこから生まれる価値観や思想も全く違う。

そして彼らはアメリカに移住してきてもそういう過去の生活を頑なに守ろうとしがちだ。

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Photo : NYCOARA

時代は巡る

チャイナ・タウンには今でも英語がわからない高齢者が少なくない。

彼らはもう何年もアメリカに住んでいながらも、生活の全ては中国にいた時と何も変わらないままなのだ。

中国語の新聞を読み、中国語のTV放送を視聴し、そして中国語で家族と会話を行う。

しかしそういう過去の世代を「ABC」の若者は違和感を持って距離を置くようになってきている。

かつての社会主義の統制された情報の中だけで生きていた高齢者たちと、英語も自国語も、場合によってはさらに他言語での情報を目にする世代とでは、同じように見える事象すべての解釈が違ってきているのである。

中国本土、中国共産党の政治に危惧を感じる若者は少なくなく、そういう世代間のズレが様々な軋轢を生むようになってきた。

日本同様このチャイナ・タウンの年配者は「イマドキの若い者は!」と苦虫を潰すのだそうだ。

時代が変わろうが、このような有様は何処も同じ、ということのようである。

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Photo : NYCOARA

長い歴史の中で、アメリカともニューヨークとも違った独自の社会を構築してきたチャイナ・タウン。

食事やショッピングの機会でも、ただ街をそぞろ歩きするだけでも、注意して周りを見渡せば日本では見られない独自の社会を目の当たりにすることだろう。

皆さんがもし次に世界のどこかでチャイナ・タウンを訪れる機会があったなら、ぜひじっくり周りを見渡して華やかな見た目のその奥にある独特の社会を感じとって欲しいと思う。

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