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4人の母、3つの名、2つの誕生日と共に。あるユダヤ人女性がたどった運命

Flickr_Marga en Johan van de Merwe

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現在イスラエルに在住するレーナ・クヴィントさんはポーランドの出自。かつてナチスによる迫害、強制収容所生活を生き延びたユダヤ人女性だ。その中で、彼女は4人の母、3つの名、2つの誕生日を得ることとなった。そこには一体どのような経緯があったのか?

ナチスによる迫害、生母との別れ。

レーナさんの生来の名はフライダ。ポーランド・ピョートルクフにある、同国最初のゲットーの一つで家族と暮らしていた。1942年、彼女がまだ6歳の時、ナチス隊員によるユダヤ人狩りに逢い、母親と共に街のシナゴーグ会堂内へと追い立てられた。

堂内に響く叫び、泣き声、怒号。幼いフライダは母親の手を握り震えていた。突然扉が開き、母の手から切り離されて屋外へと連れ出された。その後のことはよく覚えていないというが、彼女はとにかく一人の男に導き出され、街のガラス工場で働く父のもとへと保護された。

父親はフライダの髪を切り、ズボンを履かせ、フロイームという男名を名乗らせる。男として工場の仕事を与えることで、まずは生き延びさせるためだった。

強制収容所を生き抜いて得た、3人目の母、2つ目の名、2つ目の誕生日

だがナチスの迫害は容赦なく続き、ついに街に残った最後のユダヤ人たちをも強制所へ送り始めた。フライダとの別離を余儀なくされた父親は、彼女をある女教師の手に委ねる。窮地に送られるフライダに新たな母親として伴ってもらうためだ。フライダたちは収容所行き車両に詰め込まれた。車両内の狭さ、排泄物で溢れたバケツからの悪臭、停留所で放り出される死体の様は、彼女の記憶に焼きついているという。

彼女たちが送られたのはドイツのベルゲン・ベルゼン強制収容所。アンネ・フランクが命を落とした施設でもある。1945年4月15日、イギリス軍兵士によってフライダたちが救出された時、第2の母となってくれた女教師は既に死去していた。保護された当時9歳のフライダはスウェーデンにある仮収容所へと送られた。

1946年の夏、そこで彼女は娘を亡くしたばかりのユダヤ人女性と出会う。彼女はフライダの新たな母として身柄の引取りを申し出るが、その条件は死んだ娘の代わりになってもらうこと、つまり娘の名と誕生日を受け継がせること。これを受けたフライダは名をファニーに改め、誕生日も1935年12月18日から1936年2月15日へと変更することとなった。

アメリカ生活を経て、過去の探求を開始

ファニーと母親はアメリカへ渡り、楽しい夏を過ごした。新たな地での新たな日々は、収容所の吐き気をもよおす死臭も、汚水のようなスープも、身を切る寒さも忘れさせてくれるかと思われた。だがその新たな、彼女にとって3番目の母も、その夏に逝去してしまう。

「ですが私が母親を亡くした時はいつも、誰かがやってきて新たな母になってくれたんです」とレーナさんは語る。ブルックリンに住む子の無い夫婦に引き取られ、彼らの子として新たな生活を始めたのだ。その時より名もレーナとなった。それからずっと収容所時代の暗い記憶について彼女が語ることはなく、それを穿鑿する者もいなかった。

しかし1989年、54歳にして再び故郷ポーランドを訪ねて後、レーナさんは収容所生活について自ら口にするようになる。自身の過去を探る決意をしたのだ。本人の記憶の他、国際赤十字や私立探偵の助けをも借り、生地の関係資料を集めた。その結果、親類の写真や父親のパスポート写真も発見できた。

現在は79歳になるレーナさん。奪われた過去の日々を取り戻す試みはまだまだ続いている。近年は居住地のイスラエルにて、イスラエル人やアメリカ人、ドイツ人の公衆を前に、ホロコーストを生き抜いた体験を語る機会も多いという。

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Text by 宮城保之

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