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ナチス残党の隠れ家?アルゼンチンで発見された住居をめぐる論争

Flickr_ArgentinaTurismo

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アドルフ・アイヒマンをはじめ、少なからぬナチスの戦争犯罪者が戦後南アメリカに亡命、身を隠していたと言われている。数日前、アルゼンチンのミシオネス州のジャングルで、考古学者チームが第二次大戦後にナチスの残党が隠れ家に使っていたらしき3つの建物を発見したことがニュースとなった。

人里離れた場所にある住まい、ナチス残党の隠れ家か否か

それらの建物は周囲15キロにわたり住まいのない、人里離れた場所で発見された。ブエノスアイレス大学のDaniel Schávelzon氏らによるチームは、そこでマイセン陶器のかけらと1938~1941年にかけてのドイツ硬貨を発見したことから、ナチスの隠れ家であったと推測した。

一方、やはりアルゼンチンでのナチスの活動を調査してきたケルン大学のHolger Meding氏はその仮説を、アルゼンチンでのいわゆるナチス伝説の後追いをしてしまったがための誤謬とみる。ナチス残党のアルゼンチンへの亡命神話は、実際には連合軍によるプロパガンダの影響が大きいとされている。

ボルマンの隠れ家ではないにせよ、ドイツ空軍による建築では

発見された建物の一つにはBormannの表札があった。ヒトラーの側近であったマルティン・ボルマンは1945年にベルリンで死去しているが、じつは生存しておりアルゼンチンに亡命した、という「伝説」がささやかれている。もしその家が実際にボルマンの隠れ家ならば、観光客の人気スポットとなりかねない。

Schávelzon氏はこの家がかのボルマンのものであったとは信じないが、少なくとも180人の戦犯がドイツからアルゼンチンへと亡命したことから、他のナチのすまいであったかもしれないという。また建築様式自体からしても、ドイツ空軍によって築かれたとしか考えられない、とする。

ナチスの隠れ家ではなく、先住移民の手によるものという可能性も

これに対しヨーロッパ建築の影響は見られない、というのがMeding氏の見解である。1937年にはすでに1万を超えるドイツからの移民がミシオネス州に住んでおり、そもそも最もドイツ系の多い州だったのだ。彼らの何人かは戦時中、ドイツのためのプロパガンダを企てもしたという。

ゆえに当地で当時の硬貨や陶器が見つかるのも不思議なことではなく、これをもってナチス残党の隠れ家とするのは短絡的、というのがMeding氏の見解であるわけだ。

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Text by 宮城保之

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